これまで出会ったすごい人たち

人との出会いによって、人生は大きく変わることがある。
いろいろな趣味や本よりも、人がおもしろい。
だから、才能のある人が映画に仕立てる気持ちがわかる。
空想の話よりも、実際に存在した人の人生の方がワクワクさせてくれるし、勇気をくれる。

千葉のHさん(Pちゃん)

千葉で出会ったHさんは、料理人だ。
腕の良い職人で、その風貌はその道の人と思われても仕方がない。

Hさんの店には毎週のように通った。
見た目とは違って、心優しいその人は、気前よくお酒をふるまってくれたり、料理も季節に合ったものを、センスの良い器に入れて出してくれた。

相当な金額になると思われるが、二人で食べて飲んでいつも一万円だった。

顔見知りになると、店を閉めた後、行きつけの店に連れて行ってくれて、いい酒をごちそうしてくれた。それも何度も。

Hさんは、野球がうまくて、中学の時には推薦で野球の有名校にスカウトされていたと聞いた。料理の道でなければ、プロ野球の選手として活躍していたかもしれないと、大好きな焼酎を飲みながら、話してくれた。

いつも、店がしまいになるころには、けっこう飲んでいた。
7時ごろになると、料理を出しながら飲み始め、焼酎を水のように飲んでいた。
その調子でこちらにも注がれるのだから、たまらない。ふらふらになる。

諸事情で3年続いた店をたたみ、近くの店に移ってからは、一度行ったきりで、自分たちは引っ越してしまった。

たまに連絡があり、静岡で支配人をしているとのこと。どこのホテルかは、聞かずじまいだったが、遊びに来いとの連絡があったので、行ってみた。

ホテルもとってくれて、おいしいうなぎの店にもつれていってもらって、食べて飲んだ。そのうなぎの柔らかいことおいしいこと。
久しぶりにうまいうなぎを堪能した。
そのあとはまた、近くのスナックで美味しい酒をご馳走になり、カラオケもした。
Hさんは、本名を言わず、Pちゃんと名乗っているところが面白かった。

お礼に、焼酎の一升瓶を持って行ったが、荷物になるし、家やホテルにはたくさんあるので、渡せずじまいだった。

その後も、何度か連絡があり、いつもあのうなぎ屋で飲んだあとらしかった。

きびしい料理人の世界で叩き上げられた腕ときっぷと凄みは、なかなかのもので、まねできるものではない。
Hさんには足元にも及ばないが、もてなしの気持ちを忘れずにいたい。
気前の良さも見習っていくつもりだ。

自分の方がいくつか歳は上だが、頼れる兄のような人だ。

長野のKさん(BEAR KILLER)

長野で出会ったKさんも、料理人だった。
今は、料理の道から足を洗って、山でとれた山菜やキノコなどを集めて販売する仕事をしている。うわさでは、素手で熊を退治したという話で、熊はかわいそうに背骨をへし折られていたとか。本人に話を聞いたら、
「人間相手にそんなことはできないから、全身の血が逆流した!」
だって。人間相手なら5人や10人は倒せるね。

長野に引っ越してきて初めての仕事が山菜取りだった。

いろいろな山菜の種類を知った。
とれたものを貰って、食べた。目からうろこのおいしさで、人々がこぞって手に入れたい気持ちが少しわかった気がする。

特に美味しかったのは、ウド。皮をむいて冷たい水にさらして、氷の上にのせて、酢味噌でいただいた。
これを食べたら、スーパーで買ったものは食べられません。味も香りも違うから。

わらび、ドクダミ、ヨモギも採ったし、フキもたくさん採った。自分たちの取った分だけが、収入になるので、やりがいがある。フキは、1万円にもなった。

そのほかにも、がけに生えているモミジガサを採りに行ったりした。モミジガサは、テンプラにするとおいしいらしい。

自分はそのころ、痛風による痛みで、歩くのもしんどかったが、うちの奥さんは、がけをずんずん上って、採っていた。そのおかげか、山菜取りの師匠にえらく気に入られて、いつも我々と一緒に出掛けてくれた。


師匠は、われわれにたくさん採らせようと、いろいろな秘密の場所に連れて行ってくれたり、行く途中のクルマの中では、深い話や楽しい失敗談などをしてくれたりした。

仕事始めには、必ず缶コーヒーをごちそうしてくれた。温かいその缶コーヒーが、師匠の心の温かさと重なった気がした。

浅草出身の江戸っ子Tさん

いつもお世話になっているTさんもまた、料理人。
若いころは、いろいろな仕事を経験したそうで、多くのスキルを持っている。
南京しばりも、さらっとできていた。運送屋さんもやっていたらしい。

料理についてはさすがプロ中のプロ。作りながら後片付けもして、料理が完成すると同時に片付けも完了するのに驚かされた。

バイク屋クルマにも精通していて、昔はめずらしいフィアットに乗ってブイブイ言わせていたらしい。
40年以上前だから、まだ外車なんか庶民には手の届かない存在だった頃の話。

最近は、またまたバイクを手に入れて、たまにすれ違うことがある。ホンダのGB250は、シングルで音もよく、取りまわしが楽である。年配の人がバイクに乗っているのは実にカッコイイ。わたしよりひと回りも上の方です。パワフルさを見習わねば

横浜のSさん(ミニカー博物館館長)

ミニカー博物館のSさんは、物静かな人だ。
若いころの写真を見せてもらったことがあるが、F1や、レースを追いかけて写真を撮っていたらしい。おもちゃ屋さんもやっていたらしく、そのころから、ミニカーを収集してきた。

貴重なミニカーをたくさん所蔵していて、きちんとその箱まで取ってあるというからすごい。おまけに、金もうけではなく趣味として集め、博物館も入場料は無料。コーヒーもご馳走になったりする人もいます。純粋にモデルカーが好きで、モデルカー界の伝道師と言えます。

とくにすごいのは自分でつくりたいミニカーを作ってしまう事。この間見せてもらったのは、レースカーのトランスポーターを、写真などの資料を参考に作っていました。いくらでも出すから、譲ってくれという人もいるようですが、売らないそうです。

長野のサンタ(Tさん)

Iさんは、地区のリーダーだった。
サンタクロースのグッズをたくさん集めて、カフェを開いていた。
店の中は、大小様々なサンタの人形がぎっしり。人柄も温厚で、ジョークの好きな人だった。わたしはTさんの事が大好きで、もっと話をすればよかった、もっと一緒に飲みたかったと思う。新参者のわたしたちにも親切で、いろいろな事を心配してくれた人だ。
3月のおわりに鬼籍に入ってしまい、わたしとしては、悔いが残ります。

Follow me!

コメントを残す

前の記事

レンゲソウに思う

次の記事

私の宝物