学校教育の課題

コロナ禍のせいで、学校教育の現場が右往左往していると思います。
これまでに病気のせいで長い間学校が休みになることは、無かったので、明治の「学制」以降初めての経験でしたね。

概して、学校は先例のないことに対しては、打つ手を持ちません。
本当に初めてのことには弱いんです。
だいたいは例年通りで行事も流れていくからです。

家庭に待機させている間の学習課題を作るにも、配るにも、初めてのことですから、どうしたらよいか分からなかったはずです。
インターネットを使うにも、すべての家庭でその条件が整えられているとは考えられませんから、ネット配信も難しいですね。
先生が1件1件訪問するのも、数回なら可能ですがそう頻繁にできないです。

やはり、登校日を設けて、そこで連絡や課題を配ったに違いありません。

運動会や、修学旅行、遠足などの校外行事もことごとく中止になり、卒業式や入学式も簡略化したようですね。親たちが多く参加できない式って、どうなんでしょう。感動はあるんでしょうか。

こういう事態が起きると、学校の弱点がさらけ出されます。
そうでなくても、学校の普段の様子は、外部の人に知られることはかなり少ないと思います。

「こんなことが教育現場でおこなわれているの?」
と思われるようなことが、あります。
「子どもの人権侵害じゃないの?」
と感じるようなことも実際にあるんです。
外に出ないだけで、ひどいこともありますし、
「ほんとに教育を勉強してきた専門家なの?」
と、耳を疑うような言葉も、聞いたことがあります。

学校教育の実態

自分が見た「不適切な先生の言動」をお知らせしましょう。

規律と称して子どもに窮屈な事を強いるのは、教育?

小学校に入学すると、1年生たちは、学校の生活に大きな夢と希望を持って、やってきます。
1年生にとっては、勉強はとても楽しみな事で、決して嫌なことでも苦痛でもありません。
どんなことにも目を輝かせて、食いついてきます。
先生が言うことは絶対で、細かな事も説明してあげると、きちんと理解してそれを守ろうとするのです。

ですから、ためになる授業や良い経験をさせれば、子どもたちは自分で興味を持ち、どんどん伸びてくれます。子どもの中には教師よりも優秀なのがたくさんいます。この子どもたちを、その場で足踏みさせておくことは罪ですよね、伸びたい子はどんどん伸ばしてあげる必要があると覆うのですが、公教育の現場ではそれは許されません。

例えば、宿題という課題にしても、子どもの能力に応じて量や内容の難易度を変えてもいいと思いませんか?
でも、ほとんどの先生は決まった課題を全員に出します。
進んだ子には、もっと高度な課題でもいいし、なかなか理解が進まない子どもに対しては、わかる喜びを味わわせるような課題を工夫してやったらいいと思いますよね。
でもなかなかできていないと思います。
宿題の量を子どもに応じて変えることはできても内容の難易度までを買えるのは難しいんです。
子ども一人一人の発達段階を踏まえて、集団の学習場面(一斉指導)(においても、個別の課題を用意してほしいと思います。
それを実現するには必要な条件がいくつかあります。

①教員の数を増やして、クラスに副担任を一人ずつ置くとか、一クラスの人数を20人程度に縮小するとかする。これはお金があればできることです。

新任の先生がいきなり担任を持たされて、(一応指導者は週に何回かは付きますが)クラスがめちゃくちゃになることも多いでしょう。教員は、マルチな人間でないとできません。大学でいい成績をとっても、実際に教員として使えるかどうかはわかりません。

新任は、頼りになる先生の副担任として3年くらい学習指導・学級事務・学校の分掌・家庭との連携・生徒指導などについてみっちり学ばせるべきだと思います。

②学校での学習を午前中だけにして、午後は社会教育に委ねること。
例えば、午後はスポーツ教室に行ったり、スイミングスクールに行ったり、つまり公的な習い事の時間に充てたらいいと思うんです。
そうすれば、給食の後、先生たちは子どもがいなくなってから、教材研究や子どもたちの課題の製作準備にたっぷり時間を割くことができます。先生たちも、終業時刻の5時ちょっと過ぎに帰れるようになります。

たいていの先生は、5時には帰れません。
仕事が片付くのは8時ごろの人が多く、子どもがいる人は、心苦しい気持ちで仕方なく帰ります。学年の打ち合わせや行事などの準備もなかなかできにくいのが現状です。
そんなことから、給食後に子どもを帰し、2時からは自分の時間として仕事ができることになれば、もっと先生は楽になりますし、人間らしい生活ができるようになります。

子どもにいい姿勢を強いる先生

姿勢がいいのはとても好ましいことだと思います。
たぶん保護者達もいい姿勢の我が子らを見ると気持ちいがいいでしょう。
小学校1年生の学習を指導している先生が、とても窮屈な姿勢を子どもたちに強いるのはどうでしょう。

ある、学校の女校長が、算数の学習指導の見本を示すために1年生の教室で、授業をみせてくれました。
さぞかし素晴らしいのだろうと思っていました。
というのは、その校長は、その町の算数科の研究をしているグループに属していたからです。
その前に授業の研究の指導に来られた時にも、途中から参加して、的外れな意見(アドバイス)をして、我々を当惑させてくれましたから。

やっぱり、ふたを開けてみたらびっくり!
子どもたちは、みな後ろ手になっています。中にはそれがうれしそうな子もいましたが、自分もやってみればわかりますが、非常に苦しい姿勢です。まるで、捕虜になった人が手を縛られてでもいるような格好ですから。
手で、机の物をいじったりしないようにするためでしょうが、ナンセンスだと思います。
そんなに窮屈にすることが、子どものためになるでしょうか?

カタチを気にしてばかりで、あまりいい授業ではありませんでしたし、子どもとの掛け合いにも愛情が感じられませんでした。規律を重んじる姿勢は素晴らしいことかもしれませんが、規律を求めすぎているような気がしたのです。
女の先生なら、ずっと担任でありたいと思うのは、ごく自然な気持ちだと思っています。
きっと、この女校長は、学習指導も生活指導も上手でなかったのではないかと思います。
もしかしたら学級崩壊かなんかしたのかもしれません。

腕をうしろにさせるのは、自分の力のなさを証明しています。
能力があったら、子どもが集中するようなテクニックで集中させることができるはずですから。

担任を離れ、教務主任の仕事や、教頭校長になっていくと、子どもとの距離はどんどん離れます。
55歳で校長になったとしても、その前に教頭で5年、教育委員会で数年、教務で5年修行をしたとすると、新卒の22歳で教員になってから、わずか20年程度しか、担任を持てない事になります。
たった20年の担任経験で、将来何を若い人に教えられるでしょうか。

腕をうしろにさせるこの校長は、その後、どこかの町の教育長になりましたが、空恐ろしい気がします。

その校長に指導してもらった先生の中には同じように腕を後ろにさせる「わざ」を踏襲していました。
怖いです。
まあその人も普段と保護者会との差がはげしく、給食を残させない先生でした。
「お残しは許しません」
ということで、スプーンのケースに残った給食を入れて、休み時間まで食べさせる先生を何人も知っていますが、その先生も同様です。
一種の拷問ですね。

やたら汚くののしる先生

昔から子どもを叱る先生はいましたが、今も多く存在します。
しかも、女の先生で、ひどく汚い言葉で叱ったり、子どもの失敗をとがめる先生がいました。

いつもそうならば、別にそれほど気にならないのですが、使い分けているのが気になります。
ふだんは、
「てめえ」とか「~してんじゃねえよ」
なんて言っているその先生は、授業参観など、保護者がいる場面では、呼び捨てせずに
「~さん」「~くん」「~したらだめですよ」
なんていう言い方に変えます。

たぶん、子どもたちも気づいていますね、大人のずるさに。
その先生は、おまけに丁寧というか作業が遅いというか、計画性がないのでしょう。終業式の日に通知表を書きながら渡していたなんて言う逸話もあります。

一斉下校の時には、いつも一番最後に出てきて、全校生徒や先生方を待たせることもしばしば。真夏の時には、待っている方も汗だくです。時間を逆算する事が出来ないんです。きっと料理も上手ではないでしょうね。

夏休み前は、子どもたちに渡すものがたくさんあります。
宿題・家庭へのおしらせ・毎日の生活表・プールのお知らせ等々。これをその先生は一枚一枚配りながら、説明していると思われます。

(わたしは、当日焦らないように種類ごとに小さい封筒を用意して、あらかじめ入れておきました。
配り忘れがないように封筒には記名しておけば更に安心。
廊下などに、一人一人のお手紙ポストを用意しておけば、子どもたちもお手伝いでそこに封筒を入れるだけです。
余った時間は夏休みの楽しい話をしたり、こんなことをやってみようなんて言う提案をしたり、早めに帰りの支度をさせて、外で遊んだりします。)

こんな人は、先生には珍しいのですが、真面目で、きちんとやるタイプの性格なので、どうしても仕事が遅くなってしまうんですね。
ほかの行事などの準備も、この先生と組むと、時間がいくらあっても足りなくなります。

自分の好みで、子どもを選ぶ先生

4月の始業式前に、学年会で、クラス編成をします。
前の年に担任していた人から、その子たちの学力・運動・問題行動等を基準に均等になるように振り分けたものが金庫にしまってありますが、それをもとにクラス分けをするのです。

ある先生は、自分が楽をしたいからと、子どもの名前を見てクラスを選ぼうとします。
確かに、問題児が一人いるだけで、授業を組み立てるのが難しくなりますからね。
中には、自分で金庫を開けて、自分が持つクラスの名簿を変えてしまう先生もいるとか。
もちろん、トラブルになるような子を排除するためです。
始めの名簿は長い短冊のようなものに名前や特技学習面のことなどが書かれていて、それが簡単にはがせるようになっているだけの物なので、改ざんは楽で、証拠も残りません。

プロのやることではありませんね。教育のプロなら、どんな子どもでも「どんとこい」と引き受けるのが当たり前です。
その先生は、始業式何日か前に担任を交代してほしいと、電話してきたこともありました。結局変わってあげましたが、こちらも準備してきたことが無駄になってしまいました。
そんな先生も存在するのです。

市内の学校の顔を伺う校長

校長会という会が定期的に開かれて、情報交換をしたり申し合わせをしたり、行事についての共通理解をしたりすることになっています。そのほかにも、児童や教職員の問題行動についての対策も話し合ったりすると思います。
決まっている事柄については、このような校長会でもなんとかなりますが、急な時には、機能しない事がありました。

急に台風が上陸してきた(進路やスピードが変わった)時や、大地震の後など、対応がグズグズになります。
自分が学校の長だったら、自分の考えと先生方の意見を考慮して判断します。
それがもし間違いだったら責任を取ればよいだけのこと。
職をかけて仕事をしないのは卑怯だし、自分の思い描いている教育の理想を実現するためには、まわりからとやかく言われるのも覚悟しないとできるわけがありません。

自分の学校だけ、台風の時に登校させて、親たちから苦情を訴えられた校長もいましたが、それ以来、まわりの学校に連絡していました。よく言えば「歩調を合わせる」というのでしょう。
台風では、特に何でもなかったのですが、安全に留意しない事は学校としては致命的な対処です。大人ならば、多少の雨風は大したことはありませんが、小学校の低学年の児童では、飛ばされてしまう危険性があります。
ちょっと、不用意でしたね。
その経験に懲りたのか、次の同じような状況下では、その校長は学校を休みにしてしまいました。
他の学校は、時間を遅らせて、登校させたそうですが、、。

どういう基準で校長になるのかよく分かりませんが、昔と比べて小粒になった気がします。
教育委員会がバックアップしてくれるようですが、「校長学」のようなものを勉強して、学校の経営や、職員・教員のうまい生かし方・使い方を学ぶ必要がありますね。

公教育は、子ども一人一人を大切に、伸ばしていくとうたっていますが、公教育が公教育である以上、目的は労働者の確保です。真面目に勉強せず、いうとおりに動かない強い「自我」を持った子は、はじかれて「問題児」のレッテルを貼られてしまいます。申し送りなどには、協調性がないとか、自分勝手などと書かれることでしょう。

自分はもう公教育に加担する事はやめにしようと思っています。
ただ、協力するとしたら、障がいのある子どもたちの教育だけです。

我が子が、変な先生にスポイルされないことを祈るばかりです。

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