何もしない・すべきことに縛られない幸せ【究極の自由を手に入れる】


勤め人の頃を思い出します。
朝は6時にはもう家を出て、、、。
家族ともゆっくり朝食をとれない。
安定した収入と、相応の社会的な信用はあったものの、いつも時間とお金に縛られていて窮屈でした。
買おうとすればほとんどのものはたやすく買うことができ、誰にも文句は言われない。
けれども何を買ったって、幸せは手にした時その瞬間だけで持続しません。
モノを増やしても、幸せにはなれないんです。
逆に、モノが増えれば増えるほど、モノに対する執着と飢餓感はおおきくなります。
もっといいモノを!
ひとより価値のあるモノを!!
もっとたくさんのものを!!!
便利で楽な生活を!!!!
終わりのない迷宮に入り込むようです。
必要なものはごく少数でいい。
今はそう思えます。
もちろん、今はあの頃よりも収入がないし、ローンで買うことも出来なくなっていますから、事実上同じようなことはできません。
でも、心の中は働いている頃よりも、ずっと澄んでいる。
生活も地に足が付いています。
高望みもしなければ、みじめさもない。
食べるものも、少しでいいし、肉だ刺身だなどという気持ちも薄れてきています。
ただの塩にぎりが実に美味しいと感じることが多い。
体重も10キロ近く落ちました。
高校生の時と同じくらい。
もしかしたらこれが幸せなんじゃないだろうか?

朝は、早起きをして朝日を眺めます。
山の朝は涼しいというよりもう寒いです。
10℃前後。
しっかり厚着をして、ベランダに出て、、、。
ゆっくりとタバコを吸ったりコーヒーを飲んだりします。
時には本も読みます。

雲がゆっくり流れます。
木のてっぺんに鳥が止まります。
珈琲の湯気がタバコの煙と一緒に外に出たがります。
音はなく、かすかに鳥の鳴き声、そして蜂の羽音。
今日も、何もしなくていいし、何をしてもいい。
自分で選べる幸せ。
薪づくりでもしようか。
その辺にある木を削って、パイプでも作ろうか。
建設途中のログ小屋に着手するか、、、。
ぼんやりするもよし。
カメラを持って歩き、好きな時にシャッターを押すのもいい。
ほんの30分でも、その瞬間は永遠のように感じてくる。
そろそろ山の上の方は葉の色が変わり始めています。
もうひと月もすると雪景色が見られるかもしれません。
雪降る中での一服は最高です。
ベランダでコーヒーを沸かして飲むのもイイ。
ただいま自由を満喫中。

今何が一番欲しいか、望みを叶えようと言われたら、、、。
日陰になるからちょっとそこをどいてくれ、、、。
とでも言うかな。