母のこと父のこと

先生になりたかった母

母は、わりと真面目で勉強も運動も出来たらしい。
ただ、唯一の欠点は、見た目がイマイチな事。
よく妹と比べられて、
「妹はかわいいけど、あなたは十人並みね。」

といわれて悔しかったらしい。
息子の自分から見てもかわいくもないしセクシーでもない。
これは断言できる。

勉強ができたので、上の学校に進みたかったらしいが、戦前の当時は「女に学問はいらない。」というのが主流だったから、経済的な問題もあって、上の学校に進むことはかなわなかった。
先生になりたかったというのだが、学校を出なければ無理だ。

ある時、自分よりも出来の悪い子が、上の学校に上がるのに、成績の結果が少し足りないから、母の分を上げてもイイかしらと、先生に聞かれて悔しさがこみあげてきたという話を何度も聞いた。

息子の私が教師になったことは母にとってうれしいことだったに違いない。
弟も教師になり、妹は幼稚園の先生になった。

お手伝いさんとして修業

母は、中学を出てからあるお金持ちの家のお手伝いさんとして10年位働いたと聞く。
そこで、料理や作法などを学んで、昭和のはじめとしてはずいぶんハイカラな料理も習得したらしい。
何よりも影響を受けたのは、そのお金持ちの家の子どもたちが教養を身につけていて、誰にでも公平で進んだ考えを持っていたからだということ。
そこで母は人間には教育がぜったいに必要だということを学んだという。

夫婦で決めたこと

結婚して貧乏暮らしが続いたが、母と父が決めたことは2つあった。

ひとつは、食べ物はケチらないということ。
家を建てるために倹約したり、保険に入ったりするのではなく「食が一番の幸せのもと」というのを確認したらしい。
最も戦時中の物が足りない時代に育った両親だから、食べることが一番大切だと思うのも無理はないけれども。

もう一つは、子どもたちに教育の場を与えること
お屋敷で教育のすばらしさを目の当たりにした母が、ゴリ押ししたに違いないが、これが自分たち子どもには大変ありがたいこととなった。
もちろん、貧しいからピアノを習ったりバレエの教室に行ったりすることはない。
そろばんや習字。スイミングスクールにも行っていない。

真面目だが、お茶目な面も

お手伝いさんを十年も続けたので、料理は早くて上手だった。台所に行くと、レンコンは酢水につけるだの、ナスのぬか漬けをつくるときは色を鮮やかにするために、サビたくぎを入れるだとかいうことを教わった。

今だからわかることだが、遠足や運動会の弁当はすごかった。
自分ではそれが普通だったが、クラスの友だちが彩り豊かでおかずがたくさん入っている弁当を覗きに来た。

昭和40年代に、夕食のおかずにカキフライやロールキャベツが出た。
チキンのステーキもわらじぐらいの大きさで食卓に上った。

おやつも手作りだった。
手作りのプリンは、温かいうちに食べるとすこぶる美味い。
ただカラメルソースがまだ解けていないのでプリン型に残ったのをスプーンで壊しながら食べた。

でも自分は、手作りおやつのありがたみを知らず、袋菓子が食べたいといった。
袋菓子を買ってきてくれたこともあったが、お皿にあけられていて、がっかりした記憶がある。
自分は袋のまま食べたかったのに。


寝る前は、何か一杯飲んで寝た。
檸檬と砂糖を入れてお湯で溶かしたホットレモネードやココアを飲んだ。

食事の後は必ず季節のフルーツが出た。自分は干し柿が好物だったが、グレープフルーツが出たときには、そのおいしさに驚愕した。
まだ日本にたくさん輸入されていなかった頃の話で、グラニュー糖をかけて、スプーンで食べた。

自分はこのような食生活が当たり前と思っていたから、大きくなって友人の家に招かれた時の食事を味わってびっくりした。
ワクワク感のない和風の食事にも落胆したが、それに気づかれないように食べるのは大変だった。

25歳まで母にお世話になりました

先生になるために、大学を目指しましたが不合格。浪人して次の挑戦しましたが、不合格。
2浪してやっと大学の教育学部に入れました。
というのも、父が、
「国立大学でなければ行かせない。」
という国立縛りをしたためです。

医学部でもないのに5年間も大学に通い、やっと卒業できました。
友達の多くは必要な単位を早くにとってしまい、単位のために勉強するというのが普通でしたが、自分は広い教養を身につけるために、という名目で、図書館に行ったり美術館に通ったり、雀荘に行ったりしました。

働き始めたのは25歳の時で、その時まで掃除・洗濯・ご飯炊きは全て母任せでした。
教養のために必要な本の購入などは、カードで好きなだけ買って、支払いは父任せでした。
家庭教師のアルバイトで稼いだ毎月十万円は、食事や交際費に消えました。
とんでもない息子ですね。

父や母には十分な愛情を注いでもらいました。感謝しています。
自分も子どもたちに同じように愛情をかけてあげられたらと思いますが、なかなか思い通りにはなりません。
伝えることは難しいのです。

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母のこと父のこと” に対して1件のコメントがあります。

  1. BLACK EYE より:

    先日…自分の父も亡くなり、遺品整理をしていたら、ベッドの下から焼酎の半分くらい入ったビンが出て来て「…お酒好きだったからなぁ。チビチビ呑んでたのかもね…弔いとしてみんなで飲もうか」となり、皆で飲んだところ…

    中身、得たいの知れない水でみんなで吐き出しました(笑)

    最期まで、笑いをとれる人は中々居ないです。

    アメニマケ、カゼニモマケ、…ソレデモ、コンナヒトニ、ワタシモナリタイ。

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