思い出すことなど
朝、早起きをして、コーヒーを入れる。
めざめの一杯を飲み、だんだんに濃くなってきた山の木々を見ていると、小さいころのことを思い出したりすることがある。
忘れないうちに記憶を記録としてメモしてみようと思う。
犬とラスクと

子どもの頃、犬が欲しくて仕方がなかった。どんな犬でもよかった。でも、うちは借家だったから、犬を飼うことはできなかったんだ。
昔は、外で遊んでいると、よく野良犬をみかけた。でも、自分はそういうワイルドな犬にはあまり興味がなく、きりっとしたたたずまいの犬が好きだった。毅然とした態度の犬。へつらわない犬。
ある日、神社で遊んでいると、大きい犬がやってきた。あごひげが長く、紳士風の犬で首輪も付いていた。
どこからか逃げ出してきたのだろう。
そのいぬは、しっぽを振るわけでもなく、吠えるわけでもない。悠然と自分たちの前を行ったり来たりしていた。そこがよかった。
自分は、この犬に夢中になり、その時に持っていた小遣いを全部使って、ラスクを数枚買って、一緒に食べた。
まるでうちの犬になったみたいで、嬉しかったのを覚えている。大人になってその犬の種類を調べると、スタンダード・シュナウザーだった。
もつ煮と甘味
うちは貧しかったので、外食はほとんどしたことがなかったが、ごくまれにでかけることがあった。日曜日だっただろうか、家族4人で出かけた。
父は、酒が飲みたいからモツ焼きの店に、母はそんな酒飲みの店は雰囲気が悪いから、弟と甘味処に行った。
自分は仕方なく、父親と一緒にモツ焼きの店に入るが、タバコと安い酒と酔っ払いの匂いに食欲も失せた。父は、ホッピーともつ煮と、モツ焼きを頼むのが常だった。
自分もその焼き肉をたべたが、意外においしかった。特にタレがおいしかった。
その店で、もっともいやだったのは、酔っぱらいの隣客が私の頭をなでたり、つばをとばしながら話しかけてきたりすることだった。

いまごろ弟たちは何を食べてるのかなと思いながら、ひたすら待った。

今では、立ち飲み屋にも行けるし、うるさい客のいる居酒屋にも慣れたが、子どもの頃のトラウマで、40になるまで、酒を飲まなかった。
酒を飲んで管をまくようなやつは、人生の敗北者だと思っていたからね。
これは、全くの誤解だったけど。
カエルとコスモとコンピュータ

おもちゃを買ってもらった記憶もほとんどないが、小さいころに買ってもらったものが3つあった。
ひとつはケロヨンの人形、ふたつ目がトミカのミニカー、そしてみっつ目がコンピュータカーである。3つとも今はどこにあるのかわからない、引っ越しの時に捨てられたかもしれない。
ケロヨンの人形は、コルゲンコーワでもらったカエルと一緒に遊んだ。マッチ箱に脱脂綿で布団を作って入れて寝かせたが、ケロヨンだけは大きすぎたような気がする。
ミニカーは、一つだけしか持っていなかった。コスモスポーツというクルマで、ウルトラセブンにも登場していた。確かポインターだったかな?
コンピュータカーは、15センチくらいの長さの電動で動くクルマだったが、すごいのはシャーシの下にあらかじめハサミで形を切った厚紙を入れると、そのとおりに前進したり曲がったり、バックしたりした。
今でも、オークションなどで当時のモノが出品してあったりするが、すごい仕組みでした。
そのころは、まだ日本にコンピュータが普及していなかった1960年代後半だから、あと10年位待たないと、NECのPCシリーズが一般のモノにならない時代です。
とっておけばよかったと思います。コンピュータカー。
買ってもらったおもちゃが少なかったから、一つ一つをよく覚えているんだな。
ヤクルト嫌いになった理由

なぜなのか、わからないが、小さいころ自分には盗癖があったのではないかと思う。
盗もうと思ってやっていたのではなくただ欲しいからとってしまうといった類のものである。
ヤクルト事件も、記憶の底に沈んでいたものだったが、思い出すことがあった。
遊びの最中に、近所の家のヤクルト入れに、昼間だというのにヤクルトが2本入っていた。調子に乗って、友だちに、
「俺、こんなの平気で飲めるぜ。」
なんて言ってから、2本続けて飲んでしまった。もちろん堂々と。
罪の意識はなかったからちょっとした英雄気取りだったと思う。
家に帰ってから、弟が食事の後、
「兄ちゃんってすごいんだよ。ヤクルトを続けて2本ものんだんだ。」
といったもんだから、家じゅうはパニック。父親と一緒に謝りに行って、お金を払って、そのあと散々絞られた。だからそれ以来、ヤクルトは嫌い。
何ごともやってみないと、、、
小さいころは無鉄砲で、たくさん失敗をやらかした。財布を落としたという小さなことから、死にそうになったことまで。
自転車に乗れるようになったのは小学校2年生の頃でうちには自転車がなかったから、借りて乗る練習をしていた。
まだブレーキを上手に使えずに、狭い道でトラックが前から来たから、もう大変。
前からはトラック、右はブロック塀、左は川。怖い方を見ていると、乗り物っていうのはそちらに進んでしまうものなのか、川にめがけて自転車ごと転落した。
川の中で、落ちていた自転車が見えた。
自分はまだ泳げなかったから、
「もう死ぬのか。」
と思っていたところ、手を引っ張られて、助けられた。その後は、きっと泣いていたかもしれないが記憶が消えている。
助けてくれた工場の人がお風呂に入れてくれて、自転車もきれいに洗ってくれた。
自分は、その時、泳ぎの必要性を体感し、その次の年から、水泳を頑張った。
2年生のころは、7メートルしか泳げなかったが、3年生では20メートル以上泳げた。
泳げたといっても、まだ息つぎは出来ませんけど。
何ごとも経験してみないと、真剣に取り組めないのかと思う。戦争を体験した人は、意識が違っていたりする。
死にそうになったことはこのほかにも、何回かある。トラックにぶつかったり高いところから落ちたり。
そんな経験をすると、どこかのスイッチが入るのか、何でも頑張れるようになるし、できるようになる。命の危険は、やる気スイッチを入れてくれるのかもしれない。