続続・思い出すことなど

年を重ねてくると新しいことはなかなか覚えられなくなるけれども、ふとした瞬間に、子どもの頃のことが思い出されたりします。

何十年ぶりに友だちの顔が思い浮かんだり、いまごろはどうしているかなどと気になったりも。

最近は、そんなことがあるたびに、メモするようにしています。

それがなかなか面白く、頭の体操にもなりそうなので、ずっと続けていました。
そんな中から、短くて面白い話をいくつか拾ってみようと思います。
「すべらない話」ほど面白くはないけど、、、。

算数セットの話

昔も1年生になる時に算数セットを買いました。
でも、今のように名前のシールがあるわけでもないから、短冊に名前を書いてセロテープで固定する記名方式です。

また、昔はおはじきではなく、数え棒でした。
母は、数え棒から図形カードなどすべてのものにきちんと名前を付けてくれました。

それがとてもうれしかった記憶があります。
今はどこにあるんだろう。

結局、数え棒はほとんど使いませんでしたけど、うれしくてありがたかった記憶は残っています。
自分の子どもにもそうしてあげたいと思います。

怖い新聞勧誘

小さい時に一番怖かった経験は、ウチに新聞の勧誘が来た時です。

母が対応しましたが、向こうも生活が懸かっているらしく、結局長いこと加入しましたが、うちは父親が「朝日新聞」と決めていたので、契約が取れず、その勧誘の人は入り口の壁をこぶしでたたいてかえりました。

ものすごい音がして、後で見たら壁がへこんでいました。

おつかい

小さいころ嫌だったのはおつかいです。

別に普通の物を買うなら、いいんです。
でも買いに行かされるものは、たいていタバコか日本酒。

タバコは安物の「いこい」
日本酒はこれも安物の「黄桜」

しかも、昼間でなくて、暗くなってから夜道を買い物に行くのはとても嫌でした。
自分が親だったら、自分で買いに行きますね。
だから40まで、酒もたばこもどちらも飲まなかったのだと今思います。

父親が亡くなってから、ようやくどちらも始めました。

ウズラの脱走

小学2年生頃の話。
暗くなってから、近所が騒がしいんです。

何かと思って家族で表に出たら、なんと飼っていた「ウズラ」が脱走したらしいとのこと。

そのままにしておけば、ウズラたちは猫の餌食になってしまうというので、ご近所総出で捜索をしました。

結局何羽かは見つからずじまいでしたが、夜に堂々と外で遊べたのがとてもワクワクして、楽しかった記憶になっています。
ウズラには申し訳ないけど、、、。

カタ屋って知ってる?

学校の帰り道、校門の近くにたまにお店を構えている人がいました。

その店は「カタ屋」
粘土で出来たようなカタを売っている店です。

そのカタに粘土を入れて形を作り、カタ屋に売っている粉を振りかけて完成させると、出来栄えによって点数券がもらえます。
その点数を集めると、大きく立派な「カタ」と交換してくれるというシステムです。

ただ、色の粉が結構高く、子どもでは何色も買うことができません。

おまけに、金色や銀色の「粉」は、値段がもっと高いので、上手くきれいに仕上げるには財力が必要です。

カタ屋は、校門の前に何日かいますが、そのうちに消えます。
次のカタ屋が来ても、前の点数券は無効なので、がっかりさせられます。

自分も一つだけカタを持っていましたが、今はどこにあるんだろう。

モグラを捕まえた話

これは高校生の時の話。

自転車通学だったので、畑の中をゆっくり通学の朝、地面がもこもこ動いているのを発見。
モグラでした。
後先考えずに即捕獲!

いれるものがないので、「マディソンバッグ」「に、直接投入しました。
授業中もガサガサと音がするので気が気ではありませんでした。

何とか家に戻って、ミミズを何匹も集めてきて、土を入れた箱に入れましたが、翌日には、死んでしまっていました。
モグラは、飼えないんですね。きっと。

ごめんね!ひよこ

小学校の門の前に、時々ヒヨコを売っているおじさんがいました。

帰りにそのおじさんを見つけたら、大急ぎで家に帰り、母親におねだりをして、買いに行きました。
「どうせすぐに死んでしまうのよ。」
と言われましたが、もう耳に入りません。

ヒヨコは塗料がかけてあって、緑だの水色だののヒヨコもいました。

自分は黄色いヒヨコを買って、箱に入れて飼いました。
家の畳の上で、遊ばせて、毎日楽しみました。
世話は、母がやってくれていたのでしょう。

ある日、遊んでいるうちに、畳に輪ゴムがあったので、ヒヨコの首飾りにと思って、首にかけてあげました。
すると、
ヒヨコはこれまでに走る何倍もの速さでや闇を駆け回りました。
苦しかったと知ったのは、輪ゴムが外れた後でした。
ごめんね。
と反省しましたが、そのヒヨコは何とか死なないで、大きくなりました。

虹を見た!!

これも小学1年生の夏休み頃の話。

学校で育てた朝顔が窓の下に置いてありました。

そのころは、何の不自由もなく、ただただ幸せで、毎日が楽しい日々でした。
窓に腰かけて、外を見ると、今まで降っていた雨が止んで、大きな虹が出ていました。

自分の幸せを祝福しているような大きな虹でした。
あれほど大きな虹はその後、見たことがありません。

自分の気持ちの持ちようが、見ている景色に影響を与えていたんだと、今になって分かりました。

さびしい夜

小学校3年生の時の話。

九つ下の妹が生まれる時、自分はおばさんの所に何日か預けられました。
家族と離れて暮らすのは、初めてだったから、不安でいっぱいでしたね。

もともと、人のうちでご飯を食べるのが苦手で、たとえ好物でも、おいしく食べられないくらい神経質だったので、毎日おなかが減っていました。
おばさんは母の一番上の姉だったので、その時にはもうすでにおばあさんみたいでした。
そこのうちは、いつもコロッケがおかずに出て、嫌でしたね。
たくさん食べないと、
「子どもらしくない」
みたいな言われ方をしました。

ある日、おばさんに「帰りたい」ということを伝えると、
「帰っていいよ」というのでうれしくなりましたが、
一人じゃ帰れないことが分かり、
「それじゃあもう少し我慢しなさい。」と言われました。

母親が入院している間に、死にそうになったこともありました。

横になってカンロ飴をなめていたら、のどに詰まって呼吸も、声を出すことも出来なくなって、のたうち回りました。

幸い、おばさんが見つけてくれて、背中をドンと叩かれて、飴は口からポンと出てきました、、、。
その事件から、自分は少しおばさんにうちとけてきて、いろいろな話をし、淋しさが薄れましたが。

大きくなって、おばさんと話をする機会があると、おばさんは決まってあのアメ事件のことを話しました。

その他にも、洗濯ものを見て自分がつくった詩のことを話しました。

僕のくつした小さいの
おばあちゃんのくつした大きいの
でも穴が開いてる

おばさんは何年か前に亡くなりました。

いつも涙を流している姿が思い浮かびます。
でも、悲しいからではなくて、涙腺の故障って言ってました。

カニと50円

これも小学校低学年の頃のこと

近くに信用金庫ができて、オープン記念に何かくれるらしい。
それが何と生きている「カニ」!
子どもだましだけど、子どもはそういうものに弱いから。

母さんにおねだりをして、信用金庫に口座を作ってもらいました。
残高は50円。
昔の大きな50円で、穴の開いている硬貨を預金。
帰りにカニを1匹貰って、有頂天でしたね。
飼い方もろくに知らないので、水道水に入れて置いたら、次の日にはだらんとなってました。
ハエがたかった「死んだカニ」の匂いは忘れられません

通帳はいまだに持っています。
これが通帳。

1967年8月22日のことでした。
今からちょうど53年も前のこと。

【追記】8月23日

子どもの頃夢中になって、「森永のチョコボール」を買っていた時期がありました。
もちろん、おもちゃの缶詰を当てるためです。
銀のエンゼルは、一番隅に入っていることが多く、店に新しく入るのを見計らって、買いに走りました。

金なら一枚、銀のエンゼルなら5枚集めて送るともらえます。
買って買って、やっと5枚集めて送りました。
何日かたって、送られてきました。
おもちゃの缶詰です。

中身はしょうもないおもちゃが入っていました。
何が入っていたかも覚えていないくらい、つまらないものでした。
でも、送られてきて缶切りで開けたことが何よりうれしくて、仕方なかったです。

しばらくして、弟は金のエンゼルをあてて、同じようにおもちゃの缶詰を手にしていました。
これで、おもちゃの缶詰は全く価値のないものになってしまいました。

ちなみに、自分の好きなのはキャラメルが入っているチョコボールです。

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