田舎があるということ

世の中には、実家がまだ残っており、祖父母が住んでいて、両親もそこにいる絵にかいたような「田舎」がある人がいるのを知って驚きです。
自分が子どもの頃に住んでいた家(アパート)はもうないし、父母は家を持たなかったので、正月やお盆にかえるべき家はありません。
良いところは、煩わしい付き合いがなくて楽な所、自由なところですが、裏を返すと、つながりがなく寂しい所です。
子どもの頃につけた柱の傷や、自分の懐かしいおもちゃなどは、実家があれば保存してあるだろうし、帰れば懐かしく思い出される事でしょう。若いうちはそれほどでなくても、だんだん年齢を重ねていくにしたがって、故郷への思いは強くなるでしょうね。
故郷に戻り、小さいころの話をされたり、親子で盃を交わしたりするのも羨ましく感じます。
田舎は人情があたたかい

まして、故郷が東京などの都会ではなく、東北や写真のような白川郷だったりしたら最高です。
うちの妻の実家は、山形県。
古い家ですが、生活に必要な電化製品などは揃っています。
祖父母、父母が住んでいます。
山形のこの地方は雪が深く、2メートルも積もります。
果物はおいしく、野菜は自家製で新鮮。
お米はいつも送ってもらっています。
米沢という所に近いので、米沢牛が食べられます。
何よりいいのは、家族に優しい所だと感じました。
部外者には普通ですが家族の一員になったら、とても親切です。
あたたかく迎えてくれるようになります。
妻にとっては、それが長い間の習慣ですが、夏休みに必ず4~5日滞在するのは「家の掟」のようになっているようです。
長いこと一緒にいましたが、なつやすみ「お盆」に実家に戻らなかったのは一度きりでした。
それは北海道にバイクツーリングに出かけたときだけでした。
お正月も同様に、何日か滞在します。
今は自分もメンバーの一人になりました。
独特の食習慣
食習慣についても、驚くことばかりです。
食事の際に、お茶ではなく、牛乳を飲みます。それも、子どもばかりでなく、大人も。
食べ終わった茶碗に牛乳を入れて飲むのには、さらに驚愕でした。
ほかにも、すき焼きに糸こんにゃくではなく、くずきりでした。
豚肉よりも牛肉をよく食べているようです。
おせち料理は、3段重ねなどのお重はなく、正月につきもの食材が見当たりません。
その分、馬刺しや刺身などのご馳走もありましたが、、、。
きちんとした挨拶もありませんでした。
身だしなみを整えて、家長に頭を下げて「あけまして、、、。」という新年のあいさつ。
それが済むと、お年玉がもらえることになっていました。
子どもでも、お屠蘇が準備されて、おせち料理を少なくても1つ、満遍なく食べるのも決まりでした。
正月3日までは、人の家に行かない事も決まっていました。
テレビを見て、ゆっくりご飯を食べて、テレビを見る。
正月の演芸番組は楽しみでしたね。
今考えると、堅苦しいことはあるものの、親の「こうしたい」という気持ちが分かります。
自分もある程度は見習いたいと思います。

普通は
一の重(祝い肴)・・・かまぼこ、栗きんとん、伊達巻、田作り、黒豆、数の子、金平ごぼう
二の重(焼き物)・・・焼き魚(鯛や鰤)海老など
三の重(酢の物)・・・紅白なますなど
四の重(煮物)・・・里芋、クワイ、レンコンなどの煮物、筑前煮など
と決まっています。
自分の小さいころ実家では、暮れの27日~28日ごろに買い出しにアメ横にいきました。その日からずっと母親は台所でおせちづくりでした。子どもの頃はさほどおいしくはありませんでしたが、大人になり、おせちの意味を知り、作ってみることで、ありがたみが分かってきました。
今年の正月は、少しですがおせち料理を作って食べました。
昔のしきたりの意味をきちんと理解したうえで、自分なりに手を加えてアレンジしていくのがいいと思っています。
ほかにも田舎ならではの習慣?
長野県でも、そうでしたが、午前10時と午後3時におやつの時間があります。
忙しい時でも、その時間は夏は涼しい所で、冬は暖かい場所で集まってお茶を飲み、野沢菜などの漬物を食べます。もちろんお菓子も。
その休憩は「たばこ」の時間です。一人もタバコを吸わないのに、タバコ休憩というのも面白いですね。

山形県でも、同じように「たばこ」の時間がありました。
また、お盆などの昼食の後は、涼しい所で昼寝をする習慣もありました。
自分には、昼寝の習慣がありませんでしたから、驚きです。
小学校に上がる前なら、昼寝もしたことがありましたが。
おわりに
都会に自分の土地を持たない生活は、非常にお金がかかります。
その点地方のいわゆる「田舎」は、豊かです。
土地も豊か、食べ物も決して贅沢ではありませんが豊かです。
人的にも、若い働き手は少ないものの、けっこう豊かだと感じます。
空気もきれいだし、水も良い。
時間がゆっくり流れるのも都会とは違っていいですね。
たまに都会へ出ると、排気ガスの匂いで気分が悪くなってきます。
やっぱり住むには地方の方が絶対いい。
仕事が地方でもあれば、最高ですね。
田舎があるということ、財産をたくさんもらって生まれたことを意味しますね。
田舎があるということは、ない人にとって見れば、垂涎ものですよ。
願っても買えませんからね。
…映画サマーウォーズのばあちゃん:「一番いけないのはお腹がすいている事と、独りで居る事だから…」
信州上田が舞台のこのアニメ映画で「花札」で相手を打ちかまそうとするのは昔のハリウッド映画の「ウォー・ゲーム」を彷彿しますね。
昔は正月やお盆に親戚一同が揃って花札やったのは楽しかったでした。…懐かしいなぁ。
色んな古里は有ります。…白川郷も好きです。
…田舎のチカラがこれからも大切になるかも知れません。
…まっちさんが今居る所を古里と思って接して頂ければ嬉しいと思います。
自分的には一番いけないのは人を尊敬しない事だと思う。…尊敬しないから、食うに困る人が出てしまうのでは?…なんで優越で現世を解決しようとするのか?
…とかなんとか。
…悩みはつきませんね。
人は持っている能力の数%しか出していないと聞きます。確かに、自分もそうだと思います。
その能力のスイッチを入れるのは「危機感」だと思っています。
野口英世が、研究者として世界的に功績をあげたのも、幼い時に囲炉裏に落ちて火傷をしたから・・・。
漱石先生があれほどの作品を世に出せたのも、幼いころの不幸な出来事が関係すると思います。
命ぎりぎりの経験が、その人の「ヤル気スイッチ」をオンにするのではないかと感じます。
あまり経験したくありませんが、自分も命ぎりぎりの経験が何度かあります。
溺れて死にそうになったり、高い所から落ちたり、トラックにぶつかったり、、、。
そこで、スイッチが入り、少しぐらい人と違っていても特に不安もなくなったのかと思います。
人生の選択をするときには、できるだけ過酷な方を選びます。
人から見たら「ばかげている」選択をしてきましたが、後悔はありません。
うしろを振り向かないから、、、。
今の暮らしは結構きついです。でも、精神的には安定しています。
アタラクシアです。(結婚もして子供もいるけど)
危機感スイッチ…親戚一同で花札やって1ゲーム終了後「しっぺ」と称してゲームの最後に参加した全員の片手を机に重ねていき(一番負けた人は一番下の方です笑)、勝った人が一番上でぎゅっと押さえつけ「いくぞ!」の号令で勝った人が手を引くと同時にもう片方の手でみんなの手をひっぱたきに行くのがルールでした。
逃げ遅れた人の手がひっぱたかれる危機感…遊びの中に組み込まれてましたね…今思えば。
リスクがやる気の起爆剤ですね(笑)