部落問題について思う

はじめに

被差別部落については、恥ずかしながら10代の終わりになるまで知りませんでした。
ということは、言い換えるとそういう差別をしてこなかった。
そういう差別意識を持っていなかったということになります。

これは結構いいことだと自分では思っています。
先入観がないので、感覚的に判断する事がありません。

むしろ、そのような差別をしている人たちを、下等な人と思ってしまいます。

実際、どんなに高貴な人でも、先祖をたどれば、何かしら法に触れるようなことをしでかしているに決まっています。
法がない時代でしたらなおさらです。

そうでなければ生き残ってこられるはずがありません。
ネズミのように狡猾でしたたかであったはずです。
そんなことも想像できないで、自分たちは、高貴だとか、由緒あるとか言っている事の方が愚かです。

本棚を調べると、部落問題に関する本が何冊か見つかりました。
この中から何冊か紹介します。

はじめての部落問題
文春新書 角岡伸彦

この本の著者は、部落育ちです。
大阪大学で講義を持ち、差別について考えさせることをテーマにしています。

人間は、自分より下に見るものを置くと、安心する生き物です。

どんなに立派な人でも、差別の芽は持っていて、自覚しないようなところで、それが大きくなってしまうんでしょう。
私も経験したことがあって、自分でも驚きました。
この人が、こんなことを思っていて、それを無防備にも私に言うの?ってびっくりしたんです。

それは、わたしが養護学校(現在の特別支援学校)に新任として勤めた年です。
いままで、支援を要するような障がい児にあったことがなかったので、ショックでした。
自分の名前を呼ばれても、見向きもしない子。
文字も絵も描けないような子。
自分の排泄物を触って匂いを嗅ぐような子が、そこには存在しました。

自分は、特別支援教育について何にも習ってこなかったし、免許もありませんでしたが、とりあえず5人の子どもを担任したわけです。
もちろん副担人として。
そこで、主任に多くのことを教えてもらいました。

その主任が、障がい児を多く持つ家庭のことについて、無責任だとか、理解できないとか、不平を漏らしていたんです。
自分にとってそのことが、信じられない事でした。
もっと人間的に上の人だと思っていましたから、、、。

「障がい児が何人も産まれているんだから、気をつけないと、、、。」
子どもが障がい児ばかりなのに、どんどん兄弟が増えていることを問題視していました。

この発言は、人権無視の発言だっていうことは、中学生でも気づきますよね。

この本で一番納得したところは、
「親は世間を気にしながら生きている。」
という所でした。

自分たちが、上手に生きていくための方策として、世間から疎まれないように、差別されないように、後ろ指をさされないように、人を差別するんです。
「部落の人と結婚したら、親子の縁を切る。」
なんて言ってしまう人(親)が、まだいるんですよ。
結局は、ずるがしこい生き方。
自分たちさえ、幸福ならいいっていうこと。

「どうして、よりによって部落の娘さんを嫁にもらいたいっていうんだろう。せめて普通の人にしてもらいたかった。」
なんて言う母親がいるんです。

普通ってどういうこと?
こんなことを言われたら、スイッチ入れなきゃだめでしょ。
追及して、言った人が間違っているということを認めさせないと、、、。
たとえ親でも、差別の芽を摘み取ってやるべきです。

その相手の人格を全く考慮しないで、そう言える浅はかさに、怒りがこみあげてくるのは、わたしだけじゃないはずです。

自分はナニサマなんでしょうか。
そんなに上等な人ではありませんよね。
そんなことを平気で言える人を「普通」っていうなら、自分は普通でないほうがいいです。

もう、、、何とバカな親なんでしょうか。
つける薬が見つかりません。

被差別の食卓
新潮新書 上原善広

この筆者も、被差別部落に育った人です。
被差別部落の「ソウルフード」に興味を持ち、日本の部落を皮切りとして、海外の「ソウルフード」を取材してまとめています。
アメリカ、ブラジル、イラク、ネパールなどで、「ソウルフード」を食べてきた筆者の文章は、明るく楽しげです。

アメリカのソウルフード

アメリカ・ハーレムの「チトリングス」
黒人の豚もつ煮とよばれるこの「チトリングス」は、ちょっと酸味がつけてあり、今では黒人でもあまり食べないらしいです。

アメリカ南部の郷土料理「グリッツ」
元は家畜の餌のトウモロコシをつぶして粥にしたもの。
想像しただけでもおいしくなさそうです。
でも、これは白人にも広がり、グリッツにトースト&スクランブルエッグ。
好みによって、そこにベーコンやソーセージを付けるそうです。

アメリカの「ソウルフード」にはこのほかに、
フライドチキン・ポークチョップ・BBQポーク・キャットフィッシュ(なまず)・ハムホック(豚足)・クロウフィッシュ(ザリガニ)などがあるそうです。

フライドチキンが「ソウルフード」の代表だなんて、一瞬耳を疑いそうですが、白人が食べたチキンの残りの部分・・・食べない部分(手羽先や足、首)を油でジックリ揚げて食べたのが始まりとされていて、それが拡がったラ誌です。
白人のキッチンの賄いは、黒人の女性がやっていたこともあるんでしょう。
白身魚のフライも、骨ごと食べられるように、ディープフライにしていたらしいです。

アメリカの「ソウルフード」を軒並み平らげていき、筆者は偶然「差別」?に出会います。
「ハロー」と挨拶しても、無視する白人の店員。
まだまだ、アメリカの南部では、根強い「人種差別」が残っているんですね。

ある町で、「ソウルフード」を注文すると、懐かしい味に出会います。
子どもの頃に食べていた「菜っ葉煮」の味が、「カラードグリーン」にそっくり?

ブラジルのソウルフード

ブラジルの奴隷料理「フェジョアーダ」
フェジョアーダは、豚の内臓、耳、鼻、足や尻尾を豆と一緒に煮込んだ料理のことです。

ブラジルの中でも最貧民の村は、アフリカ系のブラジル人が住むキロンボ村。
町に出て白人に苛められる最下層の生活よりも、キロンボでの誇りある生活のほうがいいと若者が多く住む。
ここの「ソウルフード」はフェジョアーダではない。

フェジョアーダは、白人の農場主の余り物で作った奴隷料理で、自分たちは奴隷じゃないから、フェジョアーダは食べないらしい。
誇り高きアフリカンブラジリアン。

ブルガリアのソウルフード

ブルガリアの漂流民「ロマ」は、我々がよく知る言葉では、一種の「ジプシー」のことです。
そこでのソウルフードは「ハリネズミ」

調理方法はいたって簡単で、死んだハリネズミに空気を入れて膨らませて、針を切り取り、針を焦がしてから、内臓を取り出します。
中には内臓も食べる人もいるらしいけれども、ここでは、レバーだけとって肉と一緒に調理していました。
アブラと水と塩で、蒸し煮にしていました。
「食虫動物」は、不味い。
筆者はいいますが、ロマたちはこの料理が大好物だそうです。

ネパールのソウルフード

一般的にネパールでは、牛肉は食べないようです。
禁断の料理ということですが、一部の被差別民は、カーストの最下層で、牛肉も食べているようです。
その最下層の不可触民は「サルキ」と呼ばれ、上のカーストは、その人に触れることを穢れと認識しているようです。

筆者は、ネパールの知人を通じて、サルキの牛肉料理を食べに行きます。
自分は、砂糖と醤油を使って、すき焼きをふるまうことにして、、、。

ネパールの知人は、牛肉を一切口にしません。
理由は、そのことが知れると「村八分」以上の仕打ちを受けるから。
つまり「あいつは、穢れた。」
と言われ、暮らすことができなくなるからだそう。

日本の「あぶらかす」や「さいぼし」と似たような料理がサルキの食文化にも存在するところに連帯感を感じていて、面白いです。

※あぶらかす
腸を輪切りにして、油でよく揚げたもの

※さいぼし
牛の肉を塩漬けして、干したもの。
ビーフジャーキーのようだという。
筆者の時代では、馬の肉を使用するらしい。
肉の美味さのランクとしては、鹿・馬・牛の順らしい。

筆者のソウルフードは、「あぶらかすの菜っ葉煮」だそうで、おふくろの味。
やはり過程で食べた味が最もおいしいらしいです。

食文化についての本は、面白いです。
地域によって食べるものが違うということは、とても興味があります。

自分が食べて衝撃だったものというと福島で食べた「ずんだ餅」と山形の「玉こんにゃく」です。
どちらも、ごちそうではありませんね。
海の近くの村なら、もっとおいしいものがあるのでしょうか。

新・だれも書かなかった「部落」
宝島社新書 寺園敦史

この本は上記の2冊とは違って、ちょっとシリアスな話です。
「部落解放」をうたって税金を湯水のように使い、連日接待。
ほぼ毎日のように、事前協議と称して飲食で接待してきた証拠が載っています。
1988年度の1年間で支出は450回以上。
事前協議と称して150回以上。
1年間で340万円も飲み食いに使っていることが明るみに出ました。

他にも京都市職員採用に、「同和地区」の人がほぼ無試験で入れる枠があったり、そこで採用された人が、無断欠勤したりと、滅茶苦茶な状況であることも、新聞等で人々の知るところに。

「部落民」だけが、恩恵を受けるシステムが存在し、その不公平がまた「差別」を生み、そこで迷いながらも、仕方なく生活のために恩恵を受けてしまう方へ流れて行ってしまう「部落民」
巨額の対策事業費は、かえって「部落」を固定し「部落民」を再生産してしまっているのではないかを問う一冊でした。

おわりに

いまだに同じ日本人の間で、「差別」がある事に憤りを感じます。
しっかりとした考えを持つ大人の人の中でも、「身内の結婚」となると途端に情けない状況になることも、心情的には分かりますが、許されない事と思います。
人間の心の奥底、大脳の旧皮質の所に
「他人を自分より下に見たい」
「他人を支配したい」
「人の命を自由にしたい」というような思いが存在するとしか思えません。
何万年経っても、変わらないんでしょうか。

自分は母親に「朝鮮人とは絶対に結婚しないで。」と言われたことがありましたが、ナンセンスですね。
戦前の教育の弊害です。


きっと何百年もたった時に今の我々も、
「情けない時代があったもんだ。」
と言われるのかもしれません。

自分だけはしっかりとした考えを持って後世に伝えなければいけないと思います。

「偏見や差別を良くない事だと言えて、そしてどんな時にも自分が実践できるように!」


部落問題について思う” に対して3件のコメントがあります。

  1. BLACK EYE より:

    「わが命、我の物と思わず」と思ってる人は差別などしないと思います。

    人間社会、綺麗事では済まされない事が多々に有り、弱者を作って楽をしたい人間が嫌な事を押し付ける。

    「人の価値」を下げて楽しむのは人類の進化を妨げてると思う。

    1. BLACK EYE より:

      …ただ…ピラミッド形に上下関係の中で発生した物は「政治・統治」でも有りその最中で抑圧された中で発生したモノは「文化」とも思います。

      愚痴や不満、至らない事が変化して文学やアニメ・漫画、音楽、職人業、ルールの有るスポーツ等に変化していったとも思いますね。

    2. match より:

      いいこと言いますなあ。
      「人の価値を上げられる人になりたいですね。」
      一緒にいて、互いに向上できる人。

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