自給自足します

持続可能かつ安全で豊かな暮らしを求めて

昔の人は自分の生活に必要な物を自分たちで作っていました。どうしても個人で出来ないものや、鉄砲などのような機械仕掛けの物は専門の職人に任せたでしょうが、身近なものはほとんど自給自足していたに違いありません。

今の人たちは、どうでしょう。靴を自分でつくれるでしょうか。糸から服を作れるでしょうか。
そんなことができるのは、ごく限られた専門の人か研究者くらいでしょう。

もしも大災害が起きたら

もし、大災害が来て石油が止まり、流通がストップしてしまったら、どうやって暮らすのでしょう。
政府がすべての人に手を差し伸べてくれると思いますか?

クルマも動かないし、食べ物も作っていない都会の人たちは、どうするのでしょう。略奪や犯罪が横行し、パニックになるはずです。警察も自衛隊も機能しなくなると思われます。

せめて自分の食べるものと水くらいは、自分で確保したいものです。都会に住むのではなく、田舎に移って農業や漁業を本業にしていくことをすすめます。

自給自足をするということは、お金は入ってこないので、ぜいたく品は手に入りません。遠い国や異なった地方の品物を口にしたりする事も、できなくなります。大好きなバナナもたべられません。
遠くに出かけたりするのも無理です。

田舎暮らしで命をいただく

近頃、田舎暮らしが取り上げられるようになっています。
その人たちは自分で作ったものを食べてくらしていて、みそやしょうゆを自分で作っていました。
テレビはあるけどたまにしか見ないそうで、子どもたちは昔の子みたいに瞳をキラキラさせながら兄弟の面倒を見たり、洗濯ものを取り込んだりしていました。

家畜を飼い、ニワトリを育てて、卵や肉を頂く。まさに、生き物の命を頂く生活です。
ニワトリや豚などが自分たちの食料になるところを見るのは、残酷ではありますが大切な事だと感じます。
スーパーに並んだ牛肉・豚肉・鶏肉などが生きている姿を思い出して買う人はほとんどいません。
感覚がマヒしてしまっているのでしょう。
牛などは屠殺される前に自らの死を覚悟して涙を流し、悲鳴を上げるそうです。

ゴミと食料廃棄

長い人類の歴史を見ても、今の時代のように食べ物が溢れている時代はなかったと思われます。その分食べ物を頂くときの感謝の気持ちは薄れ、まだ食べられるものが毎日何万トンもゴミとして出されているのが現実です。

世界には餓死して亡くなってしまうような子どもがたくさんいるというのに、先進国の人たちは、それを知っていながら見て見ぬふりをし、美味しいものを貪り食っているのです。

自分はなるべく食べ物を捨てないようにしようと思っても、食堂やコンビニなどから出る残菜を止めることができません。このような事を憂慮して、世界では食料廃棄について注意を喚起する動きもでていますが、自分に降りかからないと人はなかなか動かないものです。

自分たちさえよければ、他はどうでもいい。ということがまかり通っているので、なかなか良くならないのだと思います。
持続可能な安全で豊かなくらしを求めて、自分はまず自給自足を選んだという事です。

みなさんも、ぜいたくを捨てて心豊かな暮らしを始めてみませんか。
いつまで心をすり減らす仕事に時間を割かれているつもりですか?

【追記】8月12日
野菜の収穫が始まっています。
トマト、ジャガイモ、カボチャ、ピーマン、長ネギ、トウガラシ、キュウリがどんどん取れています。
枝豆とニンジン、ニラはもう少し時間がかかります。
ジャガイモはもうスーパーでは買わないかもしれません。
ジャガイモの自給率は100%に近くなってうれしいです。
来年は玉ねぎを育てたいと思っています。

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